概要
函谷関は古代、洛陽から西安に通じる道の中間にあった要衝です。
中原から関中に入る上での交通の要であり、歴史上多くの戦いが行われ、また故事が生まれました。
戦国時代に秦によって東方の国の侵入を防ぐために作られましたが、後の前漢の時代(紀元前144年)に、秦の作った函谷関は東に移されました。新しく作られた方を、函谷新関ともいいます。二層の楼閣と3重に張り巡らされた高さ66mの城壁で構成されていました。前漢時代は国都長安を守る東の防壁であり、後漢時代は...
函谷関は洛陽から約140km(車で90分)の所に位置します。
ここは河南省のみならず、中国全体にとっても貴重な歴史的建造物でした。 1926年、北洋軍閥(北京政府)内の武力衝突により損傷した際も、特別に資金を出して修復されました。しかし、毛沢東時代の1958年、大躍進政策の一環として、土法炉を使用した「全人民大製鉄・製鋼運動」が開始され、河南省でも大規模に製鉄事業を展開することとなり、地域住民の反対も空しく、函谷関の楼閣は土法炉建設用の煉瓦を採取するためにほとんどが解体されました。同時に、楼閣内に保管されていた石碑・文献など多くの歴史的資料も失われてしまいました。 |
名前 | 函谷関 洛陽 |
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エリア | 河南省 |
都市・地区 | 三門峡市 |
住所 | 洛阳 函谷关 |
営業時間 | 07:30-18:30 |
休業日 | 無休 |
交通 | 洛陽市街地より車で約45分 |
ウェブサイト | http:// |
支払方法 | |
言語 | |
地図 |