概要
東西を2つの河に挟まれた台地上にあったため交河故城といわれます。 漢代の車師前王庭があった所であり、漢王朝の屯田地として、また辺境防御としての重要な役割を果たしていました。麹氏高昌国時代、中心は高昌故城に移りまいたが、交河故城は軍事的拠点として使用され続けました。 702年には最初の安西都護府がおかれ、唐の西域経営の中心となりました。ウイグル王国時代も重要な都市でありましたが、元代末期、チンギス・ハンの遠征の途中に破壊され、廃城となりました。
交河故城は前漢のころの車師前国の都でした。サルマタイ系遊牧民族の車師前国は、大国の匈奴と漢との対立間を、両国に服従しながら苦心を重ねて細々と生き拔きその命脈を保っていましたが、442年に、北魏に滅ぼされた北凉の沮渠氏がこの地に逃れ高昌郡を占拠する際に滅ぼされました。後に、交河故城は高昌国の副都となりました。
交河故城は、その名のとおり、交わる河と河の間の細長い台地の上にあります。断崖は高さ30mで天然の要害をなし、南北1000m、東西の幅は最も広い所で300m。世界でも珍しい(彫刻都市)で、黄土の台地を上から掘り下げて町を作ったのです、故城へは南門から入り、城の中心には幅3m、長さ350mの大道が通じ、西北に寺廟や仏塔、中央に官署、東南に住宅が残され、一番奥に塔林があります。 |
名前 | 交河故城 トルファン |
---|---|
エリア | 新疆ウイグル自治区 |
都市・地区 | 吐魯番 トルファン |
住所 | 吐鲁番交河故城 |
営業時間 | 09:00-18:00 |
休業日 | 無休 |
交通 | トルファン市街地より車で約20分 |
ウェブサイト | http:// |
支払方法 |
![]() ![]() |
言語 | ![]() |
地図 |